2011年03月のブログ|六道輪廻サバイバル日記
アマル・カダフィ大佐(1975年8月4日撮影)
リビアで拡がる反体制運動。時々刻々変化する状況を伝えるニュース映像には、カダフィ大佐の鬼気迫る演説が「エキセントリック」と表現され付け加えられている。
謎だったカダフィ一家の実態が次々明るみに
その一方で、後継者とも目されていた次男サイフ・アル・イスラムは落ち着き払ってアメリカンスタイルの記者会見を行っている。
7男1女と子沢山のカダフィ大佐には、ほかにも、個人的に一説には100万ドルとも言われる高額のギャラを支払って、人気歌手マライア・キャリーに家族の新年会で歌わせていたという四男もいる。
また、スイスで暴力沙汰を起こし訴追された過去のある五男といったお騒がせ息子もいて、タブロイド紙がその過去をほじ� �りまわしている。
今回の民主化デモによって、謎の多いカダフィ家の実態が徐々に明らかになってきている。そこには、反欧米姿勢を長年続けてきたカダフィ一族も、既に欧米経済にどっぷり浸かり込んでいる現実が見て取れる。
三男アル・サアディは、プロサッカー選手としてかつてはイタリア・プロリーグ、セリエAのペルージャに在籍していた。我らが中田英寿のいたチームである。
米国で実業家となった三男
イタリア1部リーグ・セリエAのサンプドリアと
契約したアル・サアディ・カダフィ
しかし、活躍シーンを見せることもなく引退、今では「復交」なった米国で、ロサンゼルスを拠点とする「ナチュラル・セレクション(Natural Selection)」なる映画製作会社を通して投資も手がける、形の上では立派な実業家である。
国際社会はついにカダフィ一族への制裁を開始し、米国にある一族の資産も凍結されるようだから、今後、映画製作の仕事はどうなるのであろうか。
そのアル・サアディが初めてエグゼクティブプロデューサー(Executive Producer)として名を連ねた映画『エクスペリメント』(2010)は、昨年末日本でも公開された話題作である。
映画「エクスペリメント」のブルーレイディスク。
エグゼクティブプロデューサーのところにアル・サアディ・カダフィの名がある
一体何の「エクスペリメント(実験)」なのかと言うと、日当1000ドルの高額報酬につられ集まった人々に看守と囚人の役割を与え、閉鎖空間の中でどんな行動を取るようになるか観察分析するという集団心理の研究実験である。
1971年、フィリップ・ジンバルド博士により米スタンフォード大学で行われたこの「実験」は、看守役が囚人役を実際に虐待し始めたことから、予定の2週間をはるかに下回る6日で打ち切りとなってしまった。
「割れ窓理論」に基づいた実験
不動産物件クラマスフォールズ、オレゴン
前ニューヨーク市長のルドルフ・ジュリアーニ市長の姿を描いたテレビドラマ「ルディー」
没個性化や善悪判断の欠落が進み、善良そうだった人でも周りがやっているのならと残虐行為も厭わなくなってしまったのだ。
暴力や、その抑止力であるべき治安維持機関について考えさせられるものだ。
集団の暴徒化については、この「実験」に先立ち、割れた窓ガラスをそのまま放置しておくと、ケアされていないとなめられ、ほかの窓も壊されるようになってしまう、という「割れ窓理論」に基づいた「実験」も行われている。
自分にとってはささやかな破綻に思えても、無秩序を放置しておくと、しまいには歯止めが利かない被害を受ける危険性があるから、綻びは小さいうちに対処しておこう、というこ� ��だ。
今回、チュニジアやエジプトでのデモへの対処ミスが政権崩壊を導いたという事実は、こうした集団心理の結果そのものに思えるのだが、アル・サアディはこの「実験」映画をリビアにいる父親にちゃんと見せたのだろうか・・・。
この理論を実社会に応用した成功例としてよく取り上げられるのが、ルドルフ・ジュリア―ニ市長により画期的な改善がもたらされたニューヨークの治安である。
9・11で不寛容の代名詞に、しかし治安は劇的に改善
9・11は世界を大きく変えた
マフィアや腐敗警官対策の強化はもとより、それまで見過ごされがちだったホームレスの排除、ポルノショップの締め出しなど軽犯罪取り締まりの厳格化も行った。
しかし規制強化への反発は強く、「Zero tolerance(不寛容)だ」との批判を受け続け、そこに9.11同時多発テロが重なったこともあり、ニューヨークの街は不寛容の代名詞みたいになってしまった。
とはいえジュリア―ニ市長時代以前のニューヨーク、特にタイムズスクエアあたりの実情を知っている者にとって、治安の改善は感動的でさえあることも、また事実。
東京都で最も治安が悪いとされている足立区でも、同じ理論を根拠として、現在「ビューティフル・ウィンドウズ運動」(ちょっとこの名称は変だが・・・)というモラル向上キャンペーンが展開中である。
古代の大帝国崩壊後は分裂と動乱を招いた
我々は学校の教科書で、何百年も続いた東西の古代大帝国が、あまりにもあっけなく倒れた一方で、続く乱世はなかなか収拾がつかなかったことを� �っている。
西ローマ帝国は、ゲルマン人の大移動に押される中、オドアケルなる傭兵隊長ごときに倒されたが、そのオドアケル自身が建てた王国もすぐさま崩壊している。
東の大国、漢にしたところで、崩壊後、日本人も大好きな「三国志演義」にもある延々と続く分裂と動乱の時代となったことは、壮大なる軍事絵巻映画『レッドクリフ』(2008)を見るまでもなく周知のことであろう。
ツインフォールズアイダホに鑑定
要するに盛者必衰、そしてカオスの過渡期へ向かうということだが、そんな歴史はいつの世でも繰り返され、尺こそ違えど、今、目の前で(というかテレビ映像で)その事実を見せつけられているのである。
さらに古代帝国の歴史が示すのは、再建は破壊ほど簡単にはいかない、ということで、独裁による強い拘束が解かれた後の社会の緩みは、気を抜くとただの無秩序でしかなくなってしまう。
北より先に民主化運動が起きるべきブラックアフリカ
今、アラブ世界に遅ればせながらやって来た「民主化」を、世界は歓迎しているように見える。
しかし、本当はアラブ世界をはるかに凌ぐ人権抑圧政権が跋扈しているのが、チュニジア、リビア、エジプトから南に向かいサハラ砂漠を越えたあたりから南に広がるブラックアフリカである。
本来は、北アフリカのアラブ世界より前に「民主化」の波が押し寄せてもおかしくなかった。中でも最悪とも言えるのが、ジンバブエのロバート・ムガベ政権。
このところ、エジプト情勢に触発された民衆が暴徒化するのを恐れ、先手を打って逮捕者を出したりしているようだが、このムガベ、1980年代の独立直後は民衆には人気だったところはカダフィとも似ている。
国際社会の評価も決� �て悪くなかったのだが、長期政権化するにつれ独裁色が強まり、経済政策に失策が目立つようになると、英国の植民地主義の名残が社会を混乱に陥れたなどと悪態をつき責任転嫁することに終始、今や国は完全に破綻状態にある。
運が良ければ旅の途中でクーデターに出合える
形の上では大統領選挙を行っていても事実上の世襲となっているコンゴ民主共和国やトーゴなどは強烈な軍事・警察国家で、旅行者とて自由に街を歩き回れないような所だから、国民に自由があるはずもない。
度々クーデターが起きているチャドやギニアビサウなどを旅すれば、運が良ければ(?)クーデターを見物することができるかもしれない。
このあたりでは旅行中も軍人が集まる風景を至る所で見かけるから、冗談抜きにして、クー� �ターでも起きたのではと思うことも少なくないのである。
強力な独裁者がいない国では軍閥化した者たちによるクーデターの応酬が続き、混乱は果てしなく続く。そんな国では、住民にとって安定独裁の方がよっぽどましとさえ言えるのだ。
そんな地域にアラブ世界同様の「革命」を起こし得るかと聞かれれば、「No」と言わざるを得ないだろう。
暴動は社会改革に結びつかなかった
今までもデモは頻発してきたが、暴動からトップのすげ替えだけが行われるクーデターへと発展することはあっても、社会改革には全く結びついていない。
クレジットなしでお金を得るためにどのように
今回の「革命」の道具になったITインフラの普及率も低いし、教育水準がアラブ諸国に比べて著しく劣るので運動のまとまりにも欠ける。
そう考えれば、トルクメニスタンをはじめとした中央アジア諸国や「ヨーロッパ最後の独裁者」アレクサンドル・ルカシェンコが権力を手放そうとしないベラルーシの方が、「革命」の可能性はまだある。
リビアでは、カダフィ政権からの解放ということで王国時代の国旗を掲げている民衆も少なくないが、王政への揺り戻しという選択肢もないわけではない。
1970年代前半、「終身国家元首」フランシスコ・フランコ政権への民主化要求への動きから、若者たちの暴走とも言える過激行動がスペ� �ンに蔓延していたことは『サルバドールの朝』(2006)が克明に描いている。
国王の賢明な判断で生まれたスペインの奇跡
サルバドールはカタルーニャの活動家。
カタルーニャ地方の中心地バルセロナには有名なサグラダ・ファミリア教会がある
長年独裁を続けてきたフランコにとって、体制を残しつつ後継者をつくることは大きな課題であった。その筆頭候補だったのがブルボン家のファン・カルロス1世。
「独裁の帝王学」教育を施し、国王を筆頭とした権威主義体制への移行が有力視されていたのである。
しかし、フランコ亡きあとファン・カルロスが実際に取った行動は、西欧型民主主義に基づく立憲君主制への移行だった。
それだけに、数年後、フランコ政権時代特権階級だった軍部右派たちが「23-F」と呼ばれるクーデターを企図した時は、国民も固唾をのんで見守っていたが、国王自らが権威主義への回帰はない ことを表明。
この「スペインの奇跡」で西欧型自由社会の一員となったのであった。
アジアの独裁、フィリピンのマルコス政権
今回の一連のアラブ世界の動きも、食料価格の高騰への不満から始まったものだが、その「割れ窓」対策が迅速になされなかったことで、これほどまでの運動へと発展してしまった。
加えて、報道される独裁者一族の豪華な生活の断片映像が庶民の怒りの火に油を注いだ。
そんな金銀財宝にまみれた汚職から失脚した政権と言われてまず思い出すのがフィリピンのフェルディナンド・マルコス政権、と言うよりそのファーストレディー、イメルダのあの3000足の靴である。
そんなイメルダのインタビューが中心となるドキュメンタリー映画『イメルダ』(2003)には、アルゼンチンのエビータ・ペロンのごとく、ポプリスモ政治のアイドル的存在として政治利用されているイメルダの� �がある。
もっとも、当の本人はまるで大女優が役柄を演じているかのように鼻高々で、その厚顔無恥ぶりには唖然とさせられる。
失脚から5年で帰国、政界に復帰も
「大統領夫人とは貧しい人にはスター。だから私はスターとしての手本を見せ、皆がスターになるために奴隷のように働くのよ」
このように真顔で語るイメルダ夫人の姿は、冷めた目で見る我々にとって滑稽でしかない。
こんな人が国政の中心にいたこの国の国民に同情してしまう。
開発独裁型政治で、思いのままに蓄財していたマルコス一家が、大統領選での露骨な開票操作で国民の怒りを買いハワイへと亡命したのが1986年。
しかし、5年半後には早々にイメルダは帰国を果たし、挙句に大統領選にまで立候補する始末。さすがに当選はしなかったが、今では2人の子供とともに政界に復帰している。
ムッソリーニの孫アレッサンドラはイタリア下院議員をやっ� �いるし、数々の天災で破滅的状況のハイチには、親子2代にわたる暴政の末国外逃亡していたジャン・クロード・デュバリエ元大統領が舞い戻った。
時を経て世代が替わると悪夢を知らぬものも増え、それが多数となれば受け入れるというのも民主主義の1つの形なのである。
そんな民主主義を世界中に輸出したい欧米にとって画期的な成功例である我が国の「民主化された政治」が行われている政治村の張りぼてビルの窓には、今、「割れ窓」が目立つ。
民主党の「割れ窓」政治が中国、ロシアを呼び込む
それは補修こそされているものの、ガムテープと新聞紙での応急処置が繰り返されているだけで、これが西欧型民主主義のなれの果てだと独裁政権に笑われてしまいそうだ。
その窓を見て中国は尖閣諸島に入� �込み、国後島へとロシア大統領のドミトリー・メドベージェフは向かったのである。
過去の栄光が住民の記憶に残っているうちに身を引くことが為政者として一番の幸せ。総理経験者をはじめとした我が国の政治家たちには、今見るカダフィ大佐の姿を他山の石としようとする様子は全く見受けられない。
自らのイメージに泥を塗る前に、そして日本国民が誰もが予想だにしない暴徒と化す前に、政局ゲームの三文役者から「惜しまれつつ」引退した方が賢明だと思うのだが・・・
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